自分の欲望と折り合いをつけるために

 自らの欲望と向き合う。欲望を赤裸々に書き出すということ。もしも瑠花ちゃんに読まれてしまっても、本人を傷つけてしまうことがないようによく考えて書く。

◼︎瑠花ちゃんへの好意から切り離すことのできない「性欲」について

 瑠花ちゃんとセックスしたい、という表現は正しくない。言葉にするととてつもなく恐ろしくて身震いがする。瑠花ちゃんの体を想像して自慰をしてしまうことはあっても、行為までは恐ろしくて想像できない。恐ろしいということに加えて、もう一つの理由はセックスにおける行為の内容は、関係性の力学によって決まると考えているから。

 真に「対等」なセックスは、互いに暴力性を直視しながら、けれど"楽しみ"ながら、力関係の優位・劣位がなめらかに入れ替わっていくものなのだと思う。そうだと仮定すれば、瑠花ちゃんとの関係性は現状「芝居を介した」もので、関係の蓄積はあっても、「役者/ファン」という対等ではない立場に置かれている。私が一方的に「親友」のような心地良さを感じていても、瑠花ちゃんがそう思ってくれている保証はない。むろん、プライベートでの関係の蓄積もない。だから瑠花ちゃんとのセックスを想像しようにも、そこでの具体的な「駆け引き」、言い換えれば「主導権の取り合い」がイメージできない。瑠花ちゃんのことが大切すぎて、自分の妄想のなかでさえ、欲望のままに恣(ほしいまま)にすることができない。

 私が本当に欲望しているシチュエーションは、「同じ布団に入って、見つめ合って、他愛のない話をしながら髪を撫でる」。これなのではないか、と思う。髪に触れることを許される親密な関係になりたい。そして、眠れない夜を語り明かして、瑠花ちゃんが寝落ちするまで見守りたい。それが私の喜びであり、妄想のなかで欲望するもの。

 あとね、『セーラ』の面会で瑠花ちゃんにぎゅっとされてたファンに嫉妬した。私もぎゅっとされたい。女の子扱いされたい。優しく慈しむようにハグされたいの。そんなふうに大切に触れられたい。

 親密な関係を結びたいという欲求も、私は「性欲」にあたると思う。

■それで、どうすればいいのか

 それがわかったら苦労しない。それでも、私は私の中の欲望を自己分析することで、瑠花ちゃんとの関係性を見つめていきたいと考えている。