Yについて その4

Yについて その3 - 日記 の続き。

 こんなこと「Yにしか頼めない」と思った。でもいざYの目を見た瞬間、「もう引き返せない」と思った。Yの目つきが変わった。真っ直ぐに私を射抜くYの視線。バタバタ、と音が聞こえてきそうな鋭いまばたき。Yの目元に意思が宿っていた。これはこれからすることの意味が分かっている人の目だ。

 Yに組み敷かれて身動きがとれない私に、骨と骨が当たって痛みが伴う、力加減のコントロールが行き届いていない強すぎるハグ。痛い。恐怖に呑み込まれて手足のふるえが止まらない。やがてそれは、私の上半身を起こして抱擁するような、優しいスキンシップに変化していく。私の緊張と動揺をYが察してくれたようだ。15~20分くらいはそうしていただろうか。Yは私のふるえが止まるのを静かに待っていてくれた。気持ちが落ち着いてくると、女性との初めての「ゼロ距離」抱擁は、別の本能を呼び覚ましてくる。

「脱がせてもいいですか」

 私は思わず口にしていた。それから少し間があって、躊躇いがちに、

「……好きにしていいですよ」

 という答えが返ってきた。脱がし方が分からなかったので、半ばYに手伝ってもらいながら、そのまま繊細なレースのワンピースをゆっくりと脱がしていく。黒の上下の下着が露わになった。Yの深い琥珀色の肌に、黒いブラとショーツは眩いくらいに映えていた。ブラのホックを外して、Yの小ぶりな胸が露わになる。初めて生でみる女性の体。Yの乳首に目を奪われた瞬間、私のなかで「性欲のスイッチ」がカチッと入った感覚があった。半時間前まで恐怖で震えていたのに、突如眠っていた自分のなかの男性性が目覚める感覚は不可解ですらあった。Yの体は美しい。ブラックオニキスのような静謐さをまとう乳首の美しさに、思わず見惚れてしまった。どうしても触れたくてたまらなくなった。

 そのままYの体の曲線をなぞるように、腹部を通って、私の指先はショーツへと伸びる。いちいち許可をとって、私はショーツの股布をずらした。そこから露わになる、黒のショーツのクロッチ部分とYの陰部。きれいに手入れされた陰毛とクリトリスと小陰唇が露わになった。大陰唇の毛は丁寧に剃り取られていた。視覚的な刺激から得られる精神の興奮が最高潮に達する。そこで「恥ずかしいよう」というYのうめきが、妙に嘘くさく響いて、私は少し可笑しくなってしまったのだった。Yのショーツをゆっくりと脱がしていくのに並行して、私の衣類もYに脱がしてもらった。その流れでキスをしてもらった。「初めてが私でいいんですか?」というYの問いかけで私はせつない気持ちになった。瑠花ちゃんの顔を想起しながら、いや、これでいいんだ…とせまってくるYのくちびるに自分のくちびるを合わせた。ファーストキスの印象は「レモン」の味だった。月並みな表現だが、Yがつけていたリップクリームの質感が混ざっているのだろう。くちびるが吸い付く感覚に遅れて、脳の奥がジンとしびれる快感が訪れて、下半身に血がめぐる。あ、「男性はキスすると勃起するんだ」という理解が後から遅れてやってくるのだった。ベッドの上で抱き合って、Yにリードしてもらいながらしばらく夢中でくちびるを貪った。

 攻守が入れ替わるように、今度はYをゆっくりと押し倒して体の各部を愛撫する。ときどき痙攣するように体をビクッとさせるYのしぐさをみて、愛撫とは相手の反応をみながら勘所を探っていく営為なのだな、ということを知った。そのまま乳首を舐めて、愛撫して、Yの反応をみていく。流れで、愛撫はクンニリングスへと移った。「そんな、そこまでしなくていいですよ」と急にYは真面目になった。それでも、私は「舐めたい」と思った。「綺麗」だと思った。初めてでも抵抗感はなかった。Yの体のどこにも「汚い」ところなんてない、とさえ思えた。そして許可をとって右手の中指を静かに膣口へ挿入させてもらう。Yの反応をみながら抜き差しのリズムを探った。

 Yはしっかりと「反応」してくれた。しかし私からみれば、Yが私に欲情していないことは明らかだった。そのときにはもう頭のどこかで思考が冷静さを取り戻していた。Yは「初めて」女性をリードしようとがんばる私のために、「演技」してくれていたのだ。その優しさに胸がいっぱいになると同時に一抹の寂しさをおぼえた。そこで「いったんクールダウンしましょう」といって行為を切り上げた。そのとき、Yがなんと言ったのかはもう覚えていない。でも「初めてでも女性の『演技』がわかるんですね」みたいなことを言われた気がする。そのまま流れで女性がされたら「痛い」こと、私の愛撫の手順で「間違って」いた部分をレクチャーしてもらった。

 また攻守が逆転して、今度はYの番。ベッドに仰向けに寝かされて、Yが私の性器を咥える。女性優位の姿勢で、フェラチオをしてもらった。フェラチオの快楽は想像を絶していた。自分で手淫するのとは根本的に違った。快楽の質から量まで何もかもが違う。思わず喘ぐ声が自分の口から漏れ出た。しかし、Yには数十分がんばってもらったにも関わらず、私は達することができなかった。快楽の大きさとそれが射精感に達するかどうかにはあまり関係がないのかもしれない、と思った。少し休憩を挟んでから、位置を変えてシックスナインの体勢になる。Yが私の性器を咥えると、私の舌はYの小陰唇に届かなかった。Yの胴が短かったからだ。体格差があるとできないプレイもあるのだな、ということを考えながら、私はYの臀部が織りなす美しいアンバーのグラデーションと湿った性器をながめがら、勃起の固さを維持して射精感が訪れるように意識を集中させた。それでも私は達することができなかった。

 結論からいうと、その日私は射精することができなかった。しかし同時に、男性の身体でも射精に拠らない快楽が得られる、ということがわかった。Yとのプレイでいちばん気持ち良かったのは、ベッドに仰向けに寝て乳首を舐められながら手淫される行為だった。これが想像を絶する快楽だった。男性の乳首に、これほどの快楽機関が眠っていたなんて。乳首を舐められて刺激されつつ、陰茎を扱かれると、相乗効果のように刺激が高まりあって強烈な快感が押し寄せてくる。私は快楽に身を委ねるように、声を出して喘いだ。押し寄せてくる身体的な快楽と同時に、相手に手綱を握られていることにも高揚した。男性性を手放して、「受け身」でいるセックスはなんて「楽」なんだ、と思った。さらに私は相手に支配されることに、精神的な高揚を覚えるタイプらしかった。もしこの場にローションとペニスバンドがあれば、そのままYにアナルを掘られてもよかった。屈服することとは、なんと甘美なのだろう。私は「受け身」でいるセックスの快楽を知ってしまった。

 それでも私は自分の男性性への自信を取り戻したかった。プレイが一巡した頃、Yにこのまま「挿入させてほしい」と懇願した。すると、

「████████から無理 」

 と言われた。Yが悪気なく放ったこの一言が、私の自尊心をずたずたに切り裂いた。なんて言われたのかは一言一句覚えているが、どうしてもここには書けそうにない。それほど私の脳裏に刻まれて、トラウマになってしまっている。いままで性別に関係なく一人の人間としてみてきたYに対して、「女」と「男」の断絶を感じた。男性の自尊感情の問題は女性にはわからないのだ、と一人で被害者意識に囚われたほどだ。挿入を拒まれたこと自体は「性的同意の問題」なので、(それ自体は私にとって悲しいことだけれども)ここでは問題に取り上げてはいない。その理由の部分が、私にとっては理不尽で「傷つけられた」と感じたものだった。Yはそのことに関して、そのとき特段問題とは感じていなかったようだ。後日、随分後になってからこのことを話し合って「私が傷ついたこと」と「Yが隠したかった本当の理由」を互いに知った。

  気が付くともうとっくに日が暮れていて、終電の時間が近づこうとしていた。私はYに放たれた言葉のショックで混乱したまま、Yが帰るのを見送ることになってしまった。Yが帰ってがらんとした部屋で、私は一人放心していた。その日得た感情と快楽と絶望がごちゃまぜになって、あとには「混乱」が残った。私はなぜYと肉体関係をもってしまったのだろう? 思考がまとまらないまま、その日は意識が途絶えるように寝落ちしてしまった。

 翌朝、学校にいくためにシャワーを浴びていると、唐突に乳首を舐められたときの感触がよみがえった。昨晩のセックスを反芻する。頭から浴びたシャワーの雨に混ざって、私の目から一筋の涙がつたった。理由はわからないが、ただただ物悲しい気分だった。シャワーに打たれながら昨日一日の流れを思い出す。駅で待ち合わせて、映画をみて、二人で一緒に電車に乗って、私の住んでいるマンションのエントランスをくぐった。ここまでは「デート」だった。いちばん楽しかった時間は、映画を観る前に食べたランチの時間だった。映画まで少し時間があったので、アトレ恵比寿のレストランフロアを散策して適当なお店を探していた。私はバーガースタンドでハンバーガーを食べたい気分だったのだが、Yが「タイ料理」が食べたいと言った。私も特にこだわりはなかったので、Yに先導されてタイ料理のお店に入った。テーブルにつくと、不意に周りの女性客からの視線を感じる。男女でお店に入ると、「カップル」の男側は、他の女性たちから品定めされるのだ、ということを知った。一人で飲食店に入ったときにこのような視線を浴びたことはない。Yについて その3 - 日記 で書いたが、この日の私とYは互いにバッキバキにキメていたので、なるほど「カップル」に見られても仕方ないな、と思った。しかしYと私はただの気の置けない友人だったので、そのように周りから視られている、ということがなんだか可笑しかった。そのあと二人でランチメニューから適当にセットを選んだのだが、その量が思った以上に多かった。渡されたメニューの表記からはとてもじゃないけど想像もつかない、非常識な量だった。食べても食べても量が減らない。映画まで結構な時間の余裕があったはずなのに、だらだらランチを食べながら雑談をして時間を過ごしていたら、間もなく映画の時間というところまで来てしまった。結局、二人ともランチを残した。「ちょっと多かったね」といって笑いあった時間がもう遠い昔のようだ。

 嗚呼、もうそのときの関係には戻れないのだな……という後悔が、私の目から涙を流させているのかもしれなかった。こんなひとときの感傷なんてシャワーに洗い流されてしまえ、と思いながら、それでも疼く乳首の感覚に、私は戸惑いを覚えるのだった。

 

(続き→)Yについて その5 - 日記