鍵を外した理由

 一年前の七月、瑠花ちゃんが地下アイドルになった。

 舞台公演に出演していた頃の所属事務所は辞めて、とある地下アイドルグループの新体制メンバーとしてユニットに加入した。それにつられて、私も「地下アイドルのオタク」になった。

 初めてみる地下アイドルの現場は想像を絶していた。そこはジェンダーステレオタイプとセクシズムとルッキズムが蔓延する空間で、男性ファンが女性演者を品定めする欲望に満ちていた。ライブは純粋に楽しめた。私が耐え難いと感じたのは特典会のほうだ。特典会では物販で特典券を購入してアイドルさんとチェキを撮ってもらう。チェキにサインと一言メッセージを書いてもらう間の1~2分ちょっと、おしゃべりできるというシステムだ。特典会は全体で一時間程あって、物販列やチェキ列に並んでいる間、あるいは列から捌けて休憩している間に自然と顔見知りとの会話が発生する。そこで話される話題が、私には猛烈に苦痛だった。「対バン相手の〇〇ちゃんが可愛かった」「初見だけど、××というグループの△△ちゃんがタイプだったから初回無料のチェキに並んでくる」等々。その殆どが他愛のない会話だったのだが、男同士で好みの女の品定めをするホモソーシャルの空気を感じて、内心ストレスを溜め込むようになった*1

 なかでも一番苦痛だったのは、女オタさんの話を振られたときだった。女オタさん自身は現場で大切にされていたので、不快な思いをすることは少なかったと思う。しかし、女オタさんに見えないところで、オタク同士が「あの女オタさんどう思う?」という話をしているのは端的にいって気持ちが悪かった。そんな居心地の悪さを感じていたとき、現場にYが来ていた。(→Yについて - 日記

 Yから絶縁されて以来、現場で鉢合わせしても目をあわせてもらえず、意図的に避けられるようになった。些細なコミュニケーションをとることさえ不可能になってしまった。そんなYのことについて、とある男性ファンの人から「あの人綺麗だよね。女優さんかな」と話を振られたことが耐え難く、後日そのファンの人をブロックしてしまった。そのことがきっかけでファンコミュニティでトラブルになり、私は瑠花ちゃんの現場へ行けなくなってしまった。

 Yのことを自分の胸のうちに問いかけると、いまでも好きなのではないかと思う。しかし、現場で鉢合わせするたびに身を切られるような気持ちになり、私の精神は不安定になっていった。そのことで瑠花ちゃんにDMを送ってしまったこともある。瑠花ちゃんの現場へ行けなくなって寂しいと思うと同時に、Yと鉢合わせすることが無くなって精神が安定するようになった。Yの姿をみると、いまでも抱きしめたくなる。狂おしいほどに愛おしい。しかし、私の欲望はYを侵食して、Yを苦しめた。その結果、Yからは存在を否定され、今もなお拒絶され続けている。私の欲望が満たされることは金輪際無い。

 このまま瑠花ちゃんの現場へ行くことをやめてしまえば*2、もう二度とYと会うこともないのだろう。そう考えると寂しいと思うと同時に、前向きに人生をやっていこうという気力が漲ってくる。性体験のトラウマを乗り越えて、自分の人生をやっていくのだ。そういう決意を込めて、私はツイッターの鍵を外した。

*1:異性愛者が前提という場の空気、自分もまた女の子に欲望を投影しているという”フリ”をしなければならないという場の同調圧力に心身共に疲弊した

*2:瑠花ちゃんのことは、現場に行けなくなってしまっても応援している。もう会うことも気持ちが届くことも無いだろうけど、元気で目の前の活動を精一杯がんばって欲しい