1月15日(火) くもり、通り雨、くもり

帰宅して一時間ほど眠ったが、夜三時に中途覚醒してから一睡もできない。疲れとストレスで神経が高ぶっているのだと思う。起き出して、だらだらとコンビニ食をかきこんだあと、シャワーを浴びる。胃がキリキリしていて食事の楽しみがなかったのだけど、思い悩んでいたら腹まで痛くなってきて、お腹を壊してしまった。腹痛で横になることもできず、トイレと布団の上を往復する。今日は午前中から日雇い仕事なのに、何をしているのか。

腹痛が落ち着いてきたら、諦めて部屋の掃除をすることにした。思考がぐるぐるして寝付けないときは、身体を動かして、何か有意義なことをするに限る。部屋が片付けば、いま抱えている悩みも少しは晴れるかもしれない。シャワーを浴びたのに手が汚れるな、と思いながら目につく範囲を片付けて、おそうじシートで畳のほこりを拭い去る。何も考えず、黙々と身体を動かす。そうしていると心が静まってきたので、起床時間まであと二時間もなかったけど布団に潜った。

起きたら出発時間が迫っていたので、急いで身支度をする。仮眠を取れて頭は少しリフレッシュしたけど、身体の疲れがとれない。体調が悪くてしんどい。重い体を引き摺るようにして家を出た。

今日の仕事は映像機器の設営と撤去。結論から言うととても楽な現場だった。なんと、拘束時間の8割が待機と移動。出動までの待機にスタッフルームが使える現場も久方ぶり。呼ばれる時間もおおよそ決まっていたので、待機時間はのんびり読書をして過ごした。お給金の発生する読書タイムほど心を潤わせるものはない。作業自体も、やる事が圧倒的に少なかった。ホテルの宴会場の音響・映像機器の設営で、私の担当は映像設営のお手伝い。巨大なプロジェクターを台の上に引き揚げるのに「もう一人必要」という理由で呼ばれたようで、私の役割は機材を引き揚げて降ろすだけで終わってしまった。あとはずっと細々とした雑用。設営した機材の撤去までがワンセットなので拘束時間は長かったけど、総じて楽な現場でした。弱っているときに身体の負担が少ない現場に当たったのは幸い。

そんなこんなでRの出演する舞台を観劇しに行ける端金ができてしまった。残りの生活費を考えるとぎりぎり1回、行けるか行けないか。選択肢ができてしまうのは可能性が広がる一方で、不幸でもある。結局私はRのお芝居を見たいのか、見たくないのか。自分でももう、わからなくなっている。どれだけ考えてもわからない。行くか行かないかの二択しかないのだが、「その日の気分」で衝動に身を任せるしかないのだろう。

Rの現場に行くときは毎度、冗談ではなく「死を覚悟する」。人に話しても冗談だと思われそうだし、思われるのも嫌なのでこれまで信頼できる人にしか相談してこなかった。Rの存在に触れることは、私にとってはそれほど甚大な影響を受ける事柄なのである。自分の足で立っていられなくなるくらい、魂の根幹を揺さぶられる。

Rに会いに行くとどうやっても無傷ではいられないらしい。どれだけ心の準備をしていっても無駄。Rと話すと、ちょっとしたことで舞い上がったり、ちょっとやそっとでは立ち直れないくらいズタボロに傷ついてしまう。こんなことを何度も繰り返していたら身が保たない。身が保たないのはわかっているのだが、どうしても見切りをつけることができず、ここまでずるずると引き摺ってしまっている。人を好きになるって、なんと泥臭くて惨めなのだろう。こんな思いをするくらいなら、好きになりたくなんてなかった。

明日は公演一日目。まだ舞台を観に行くかどうか、決められないでいる。行ったとして、私は生きて帰ってこられるのか。そんなことを考えていると恐怖に襲われて、底なしの不安に囚われる。幸い、会期はまだあるので、明日が駄目でも千秋楽までに決められればいい。Rに対する屈託は数あれど、いまは純粋に「Rの頑張りをみてあげたい」という気待ちが強い。それは"親心"なんて言えるほど慈愛に満ちた感情ではなく、ただの独りよがりなおたくのエゴに過ぎないのだが、純粋に心からの気持ちです。

お芝居は観たいけど、Rには会いたくないなあ…。