Yについて その3

Yについて その2 - 日記 の続き。

 今回は「初めて」の日のことを書こうと思う。正直、まだ気持ちの整理がついていないし、書く決心もついていない。しかし、少なくともその日までYが私の身を委ねるにあたって「信頼に足る」人物であったこと、そして「Yにしか頼めない」という切迫した思いがあったことについて、書き残しておきたい。

 その思いとは何か。端的に言って、私は「女性恐怖症」だった。幼い頃の母との関係から、私は女性から触れられること、あるいは体を「視られること」に対する強い恐怖心が芽生えていた。私は女性への根源的な恐怖と、これまでの人生で何の根拠もなく信じてきたマスキュリニティとの間で、引き裂かれたきたのだ。その間に経験した手痛い失恋の記憶で、私は身も心もボロボロに成り果てていた。瑠花ちゃんに淡く抱いてしまっていた恋心さえ、導火線に火がついていまにも爆発しそうな、身を焦がす衝動だった。

 Yと出会ったのは、そんなときである。瑠花ちゃんのイベントの帰りに声をかけて挨拶してから、次に会ったのは瑠花ちゃんの出演する舞台の現場だった。それはこんなお話だった。カフェの店長夫妻が懐妊祝いをしているお店に、奥さんの元カレと、元カレに片想いする女性(喫茶店店員の姉)がやってきて…という人間模様を描いたお話。会期中、観劇後にYを誘って「感想戦」をする、ということを幾度か繰り返すうちにYとは自然に打ち解けていった。その折にポロっと過去の恋愛のトラウマを話してしまったのが、私がYにみせてしまった弱みだったのかもしれない。舞台劇の登場人物への共感から、自然に漏れ出てしまった私のことばだった。Yは複雑そうな表情で、しかし親身になって私の話を聞いてくれた。

 それからYとは頻繁にメールをしたり、ごはんを食べに行く関係になった。友人として、話が尽きることのない相手だった。勉学で忙しく会えない間も数日おきに長文を送り合って、それに長文でレスを返す、というやりとりを行なっていた。私はYの堅い文語調の文体が大好きだった。一度に送る文章の量は際限なく増えていった。Yとのやりとりが負担に感じ始めていた頃、丁度Yが興味を持ちそうなイスラーム映画の上映案内を見たので、一緒に観に行きませんか? と誘った。その後、うちで遊んでから解散しよう、ということになった。そうしてやってきたのが、冒頭の「Xデー」、すなわち「初めて」の日である。

 待ち合わせ場所で待っていたYは「目一杯お洒落をしてきた」という感じだった。その日着てきたのは、レースの柄が大きく入った女性的なワンピースで、これまでみたYの装いのなかでもいちばんお洒落なものに見えた。正直、一目見た瞬間、恋心にも似た胸の高鳴りをおぼえてしまった。私の好みにドンピシャだったからだ。当時のYにはワンピースに合わせてハンドメイド作家の一点もののアクセサリーやあやしげなイミテーションパールのネックレスなどを沢山つけて「盛る」というこだわりがあった。その日のYは、まるで持っているアクセサリーを全部身に付けてきたかのような、いわゆる「全部盛り」コーデだった。

 それに対して私が着ていったのは、ポールスミスのチューリップ柄のカジュアルシャツと、チューリップの赤に色調を合わせたレッドピンクのチノのトラウザーズ。靴は底がレザーソールの、バーガンディのUチップを合わせた。その日の私とYは、誰が見ても「カップルのデート」にしか見えなかったに違いない。ファッションに関して、互いに120%の全力を出し過ぎてしまった結果、映画を観る前からなんだか気恥ずかしい雰囲気になってしまった。そんな男女が映画を観たあとに男の家に行ったらどうなるか。小学生でもわかる愚問である。しかし、そんな浮かれたムードとは対照的に、Yと私は、その日観た映画のテーマに関して真剣だったし、私の家でコーヒーを振る舞った後も熱烈に感想戦を交わした。

 映画のタイトルはもう覚えていない。内容は政教分離が原則のトルコの村で生まれた少女たちが、物心ついて初潮を迎えたあとで、イスラームの教えに則って心身の自由を奪われていく、という物語だった。少女たちは第二次性徴を迎えてから信教を選べるはずなのだが、村には実質的にその自由がなかった。閉じられた窓から見る青空のショットが、彼女たちの体験した閉塞感と混乱を象徴するような映像だった。幼少期の性的抑圧をテーマに描いた映画を見て、Yに自分の解釈を話していくうち、私の目からは自然と涙がこぼれた。それをみてうろたえるY。そのとき、Yと私は、私の家という密室で二人きりになっていた。

 私はたどたどしく、自分の身の上話と幼少期のトラウマをYに語り始めた。女性に対して恐怖心をもっていること。過去の失恋から自分の男性性に自信がもてないでいること。そして25歳を超えて未だ童貞であることへのコンプレックス。ここまで親身になって話を聞いてくれたYに対して、意を決して「経験させてほしい」と頭を下げた。清水の舞台から飛び降りるような覚悟だった。私の身を委ねられる相手はYしかいない、という大切な友人への信頼からくる思いだった。だが、私のために「全部盛り」コーデで臨んでくれたYの可愛さにあてられてしまった、という側面もあったのかもしれない。

 私もすべてを経験しようというつもりではなかった。まずはハグから。女性に触れられることへの恐怖の払拭から。「まずは私をハグして欲しい」と、そうYにお願いした。そこから体験した恐怖は一生忘れられない。

 ベッドに仰向けになっている私をみて、意を決してベッドに上がり込むY。そのまま私のお腹の上に馬乗りになって、上半身を抱き寄せるようにハグをしてくる。怖い。骨が当たって痛い。どうしよう耐えられない。やめてほしい。体が震えてる。やめてほしい。Yが私を見る。目が怖い。やめてやめてやめて。

 体重40kgもないYの軽い体を押し除けることができなかった。

 書くのがつらくなってきたので、ここで一旦筆を置きます。

 

(続き→) Yについて その4 - 日記