12月21日(金) 雨

 朝タイムラインに流れてきた瑠花ちゃん(お茶クラスタ瑠花さんではないほう)のツイートが癇に障ったので、衝動的にフォローを外した。「来ない理由がある?」という一文に引っ掛かりを覚える。

 実力の伴わない慢心ほど醜いものはない、という気持ちが8割。けれど後に彼女のインスタのストーリーを見てちょっと後悔。ツイッターの文言は彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。残りの2割は「周囲の反応なんて見てないで自分の稽古に集中して欲しい」という気持ちで、他人の顔色を伺いながらあれこれをするのではなく、"自分のための表現"を追求して欲しい。そう思うのはおたくのエゴなのだが、自分が瑠花ちゃんのツイッターをフォローすることで彼女の気を散らせてしまう可能性が一ミリでも存在するなら、それを排除したい、という気持ちは本心としてある。

 私は自分が観劇したいと思えば劇場へ足を運ぶし、観に行きたくなくなったらどれだけ請われても絶対に行かない。観に行くかどうかは自分が決める。義務感では現場に行きたくない。だから当該のツイートをみてフォローを解除したのは、また距離を取るいい機会だと思った。

 瑠花ちゃんが20歳の誕生日を迎える瞬間をどうしても目撃したくてフォローしてしまったのだけど、不用意に近付きすぎてしまった気がしてならない。気が向いたときにツイッターIDを手打ちしてホームを見にいく、くらいの距離感が自分としてはちょうどいい。私が瑠花ちゃんのことをどう思っているのかを書くと非常に長くなるので、また書く機会が訪れたら自分の想いを言葉にして整理してみようと思う。

 昼まで惰眠を貪って、少し作業をしてから出勤。昼ごはんを食べるタイミングを逃してしまったので、道中に携帯キャリアのクーポンをフライドチキンと引き換える。給料日まで一日あたりに使える食費が600円ちょっとしかない。ひもじい。お店に入って、自分の仕事としては PhotoShop で作ってきたジャンルサインのプレートを入れ替える作業をした。出勤前に作っていたのは売り場のコミックをレーベル別にわけるジャンルサインで、これまでの分類は変えず、コミックス発売日などの情報を追加して、デザインを一新した。売り場のデザインによって売上が変わるのか、あるいは変わらないのか、しばらく様子をみていきたい。

 今日は季節柄もあって、ギフト包装の多い一日だった。包装紙をどれにするか意見を聞かれることも多く、そういうときはお客さんの側に立って一緒に考える。誰にあげるプレゼントなのか、どういうものを好まれるのか、いつ手渡しするのか…etc。どうすれば相手が喜んでくれるのか、と考えているお客さんの目はキラキラしていて、おもばゆい感情が伝播してくるのか、私もついうきうきしてしまう。しかし、プレゼントはときに、贈る相手に受け取って貰えないこともある。

 客足が遠のいてきた21時すぎに、若い女性のお客さんが憔悴しきった顔でレジにやってきた。話を聞くと、「プレゼントを渡す相手がいなくなってしまったので、返品したい」ということらしい。詳しく聞くのは躊躇われたが、どうもクリスマスを目前にして好きな人に振られてしまったようだ。私が彼女なら、渡し損ねてしまったプレゼントは一刻も早く処分したい。気持ちは痛いほどわかるのだが、店のルールとしてはお客様都合の返品は「同額以上の商品との交換」をお願いしていて、アルバイトの裁量でルールを曲げることはできない。仕方ないので裁量権を持っている男性社員のTさんを呼ぶ。

 Tさんとお客さんのやりとりを横で見ていると、何を思ったのか彼女は「プレゼントが他の人とダブってしまって…」という、先程とは異なる説明を始めたので頭を抱えてしまった。その説明では返品するに足る説得力がない。男性社員のTさんは他店所属のスタッフで、うちには応援で来てもらっている。外見は清潔感のある細身の中年男性で、人当たりは柔和なのだが若い女性が赤裸々に恋愛沙汰を話せるような雰囲気ではない。これは日和ったな…、と思った。

 Tさんが「同額以上の商品との交換をお願いしています」と私の説明を繰り返すと、彼女は「いまは本を選ぶ気力がない」と言う。痛々しくて見ていられない。堪えきれず、仕事を見つけてその場をTさんに託した。有り体に言えば「逃げた」。結論から言うと、お客さんはその後一時間近く売り場を彷徨ったあと、「いまは読みたい本が見つからない」と言って、Tさんは仕方なく返金に応じたのだという。お店に入ってから半年以上経つが、こういう理由で返品を求められたことは初めてだった。去り際に頑張って笑顔を作ろうとして失敗したお客さんの顔が忘れられない。

 接客業をしていると、ふとした瞬間に他人の人生模様を垣間見ることになる。そんなことをぼんやりとした頭で考えて、帰路についた。