大阪の実家に引っ越すことになった

 いまも引っ越しの準備に追われている。明日が引っ越し当日だ。蓋をあけてみると、書類の整理、衣類の処分、散乱したポカリのペットボトルの処分など、やることが盛り沢山だ。梱包は引っ越し業者に依頼しているので、要は当日の引越作業に支障をきたさないように目につく範囲を「整えている」のだが、これがいっこうに進まない。

そもそも何故こういうことになったのか、ということを書いていきたい。

tshikimi.hatenadiary.jp

 この記事を書いた後、求職活動を始めた。今度は「やりがい」のある仕事がしたかったので、出版社を中心にエントリーする日々が続いた。本と関わる仕事がしたかったのだ。しかし、三十社以上にエントリーして面接の案内が来たのはたったの二社。その二社も一次面接で落ちてしまった。前からやりたかったBLコミックの編集職はすべて書類で落ちた。以前、某編プロのアルバイトに応募したら「うちは女性中心の職場でやってます。他に女性の候補者がいたらそちらを採ります」と言われたことがあったので、なんだかんだで業界全体で男性を拒む文化があるのかもしれないと思った。

 そうこうしているうちに貯金が尽きて、とうとう親元に帰らないといけないことになった、という次第である。

 引っ越し準備のため東京に戻ってきたこの二週間は、「人と会う」二週間だった。院生時代の友達、お世話になったTwitterのフォロワー、行きつけの店の馴染みの店員さん、東京の友達、そしてお隣さんとご飯を食べて、シーシャを吸って、お茶を飲んだ。とにかく自分のなかで「東京で逢っておきたい」と思える人に声をかけた。これが今生の別れになるわけではない。けれど、いまの私を支えてくれていると感じた人にご挨拶をしておきたい、という思いで、この二週間を過ごした。大阪に帰るとしばらく会えなくなってしまうのでさみしいな。

 大阪の実家に引っ越して、そこで求職活動を継続しながら生活を建て直すことになる。正直にいって、大阪でしたい仕事なんてない。東京に固執していたのは、出版社が集中していたから。それも駄目になってしまって、どんな仕事をして生きていこうか。

 直近の不安は家でシーシャが作れるかどうかである。私の母は「無駄遣い」に厳しい。喫煙自体に文句は言われないと思うのだが、シーシャに理解を示してくれるかどうかは五分五分である。家でシーシャが作れなくなってしまったらお店へ行って吸うしかないのだが、仕事が決まるまでのお小遣いは月一万円である。高校生か!

 この記事を書いてるいまもシーシャを吸っている。おそらくこのシーシャが東京で作る最後のシーシャとなる。大阪での搬入作業が終わってまず始めにしなければならないことは、役所周りの手続きよりも、家でシーシャを作っていいかどうか母を説得する作業になることだろう。何かいい案はないだろうか?

鍵を外した理由

 一年前の七月、瑠花ちゃんが地下アイドルになった。

 舞台公演に出演していた頃の所属事務所は辞めて、とある地下アイドルグループの新体制メンバーとしてユニットに加入した。それにつられて、私も「地下アイドルのオタク」になった。

 初めてみる地下アイドルの現場は想像を絶していた。そこはジェンダーステレオタイプとセクシズムとルッキズムが蔓延する空間で、男性ファンが女性演者を品定めする欲望に満ちていた。ライブは純粋に楽しめた。私が耐え難いと感じたのは特典会のほうだ。特典会では物販で特典券を購入してアイドルさんとチェキを撮ってもらう。チェキにサインと一言メッセージを書いてもらう間の1~2分ちょっと、おしゃべりできるというシステムだ。特典会は全体で一時間程あって、物販列やチェキ列に並んでいる間、あるいは列から捌けて休憩している間に自然と顔見知りとの会話が発生する。そこで話される話題が、私には猛烈に苦痛だった。「対バン相手の〇〇ちゃんが可愛かった」「初見だけど、××というグループの△△ちゃんがタイプだったから初回無料のチェキに並んでくる」等々。その殆どが他愛のない会話だったのだが、男同士で好みの女の品定めをするホモソーシャルの空気を感じて、内心ストレスを溜め込むようになった*1

 なかでも一番苦痛だったのは、女オタさんの話を振られたときだった。女オタさん自身は現場で大切にされていたので、不快な思いをすることは少なかったと思う。しかし、女オタさんに見えないところで、オタク同士が「あの女オタさんどう思う?」という話をしているのは端的にいって気持ちが悪かった。そんな居心地の悪さを感じていたとき、現場にYが来ていた。(→Yについて - 日記

 Yから絶縁されて以来、現場で鉢合わせしても目をあわせてもらえず、意図的に避けられるようになった。些細なコミュニケーションをとることさえ不可能になってしまった。そんなYのことについて、とある男性ファンの人から「あの人綺麗だよね。女優さんかな」と話を振られたことが耐え難く、後日そのファンの人をブロックしてしまった。そのことがきっかけでファンコミュニティでトラブルになり、私は瑠花ちゃんの現場へ行けなくなってしまった。

 Yのことを自分の胸のうちに問いかけると、いまでも好きなのではないかと思う。しかし、現場で鉢合わせするたびに身を切られるような気持ちになり、私の精神は不安定になっていった。そのことで瑠花ちゃんにDMを送ってしまったこともある。瑠花ちゃんの現場へ行けなくなって寂しいと思うと同時に、Yと鉢合わせすることが無くなって精神が安定するようになった。Yの姿をみると、いまでも抱きしめたくなる。狂おしいほどに愛おしい。しかし、私の欲望はYを侵食して、Yを苦しめた。その結果、Yからは存在を否定され、今もなお拒絶され続けている。私の欲望が満たされることは金輪際無い。

 このまま瑠花ちゃんの現場へ行くことをやめてしまえば*2、もう二度とYと会うこともないのだろう。そう考えると寂しいと思うと同時に、前向きに人生をやっていこうという気力が漲ってくる。性体験のトラウマを乗り越えて、自分の人生をやっていくのだ。そういう決意を込めて、私はツイッターの鍵を外した。

*1:異性愛者が前提という場の空気、自分もまた女の子に欲望を投影しているという”フリ”をしなければならないという場の同調圧力に心身共に疲弊した

*2:瑠花ちゃんのことは、現場に行けなくなってしまっても応援している。もう会うことも気持ちが届くことも無いだろうけど、元気で目の前の活動を精一杯がんばって欲しい

仕事を辞めた

 7月1日に会社を辞めた。今度は2カ月続いた。去年12月に就職した会社は10日で辞めたので、大きな進歩だ。誰になんと言われようと、自分だけはこの2カ月のがんばりを褒めてあげたい。

 去年12月に就職した会社のことから順を追って書き記していきたい。面接では人材派遣会社の管理社員での採用と聞いていたのだが、実態は物流会社だった。折りコンとジェラルミンケースで毎日数千台送られてくる携帯端末を検品し、メーカーごとに発送する物流拠点で、自社のパートさんたちを管理する仕事だった。管理、とはいっても仕事の実態はパートさんたちの手が行き届かないところを社員自らが率先して作業に従事し、汗水たらして労働をすることで全体の工数を削減するという内容であった。端的にいって地獄。稼働するレーンに携帯端末を一台ずつ流していく作業に従事していると、小一時間くらい経過したところで頭がおかしくなってくる。「こんな作業をするために東大まで出たのか……」という驕りにも似た感情が自分の中で堆積してくる。それに加えて、「汚れてもいいスーツ」とスニーカーを準備してほしいと言われて心が完全に折れた。「汚れてもいいスーツ」って何だよ。スーツは私服にエプロンのパートさんたちと差別化するために必要なユニフォームで、現場では作業着以外の何物でもなかった。

 そうこうするうちに早出出勤が始まり、パートさんが出勤する前の朝の荷受け作業に従事することになって、ほったらかしで一人荷受け場に立たされた上に、空になった折りコンをパレットに積んでいくひたすら体力勝負の肉体労働が嫌になって10日で会社を辞めた。2万5千円で揃えた「汚れてもいいスーツ」とスニーカーは二日しか着なかった。

 次の会社はハローワーク経由で、会社を辞めてから2週間で内定が決まった。丸の内にオフィスを構える会社で、SES派遣で客先へと派遣されるITエンジニアとしての採用だった。しかし内定承諾の期限が迫る二月上旬に体を壊してしまい、消化器内科を受診して胃カメラを飲んだところ、逆流性食道炎慢性胃炎との診断がくだった。立っているだけで嘔気に見舞われ、胃の内容物こそ吐きはしないものの、断続的におえおえとえずく状態が数カ月続いた。幸いにも社長は優しい人で、結果的に5月1日まで入社を待ってもらえることになった。社長のことはいまでも好きだ。けれどこの会社も業務内容がいまいち肌に合わなかった。

 最初の一カ月は丸の内オフィスに出社して初期研修を受けた。研修とはいっても名ばかりで、プログラミング言語の習得や業務にまつわる研修はなく、ひたすらビジネス動画とセミナー資料をみて所感の提出がもとめられる日々が続いた。創業したばかりの会社で、研修担当の取締役にプログラミングスキルがなかったのである。課題とは名ばかりのレポート作成作業もこたえた。引用元の出典を明記し、一つ一つ注釈をつけていくアカデミアで培った習慣がごそりと抜け落ちるほど、でたらめな作業指示だった。この一カ月で膨大な量のビジネス文書に触れたが、どれもこれも誤字脱字が酷く、「世間はこういう水準で物事がまわっているのか…」と唖然とする日々だった。

 六月に入って、社内の人が作ったプログラムのテスト業務が回ってきた。これも早々に堪えた。一日五時間も七時間も同じテストプログラムをいじって検証していると、頭がおかしくなりそうになる。加えて、テストがひと段落すると次の更新ファイルが送られてくるまでやることがない。管理部に「空き時間にオライリーの本でプログラミング言語の勉強をしてもいいですか?」とお願いしてみたら、「そういうことは業務時間外にやってほしい」とやんわりと断られてしまった。この件で一気にモチベーションが保てなくなってしまった。テスト作業自体はスキルシートにも書ける立派な業務だが、プログラミング言語に触れられなければプログラミングのスキルは身につかない。また、業務時間外に自主的に勉強するモチベーションも湧かなかった。その日から、テスト業務のない時間は椅子に座ってインターネットサーフィンをしているだけの日々が続いた。ネットサーフィンもたいして興味のある話題もなく、「終業まであと3時間もあるのか…」といった持て余した暇が徐々に苦痛に変わっていった。これならまだ虚無のレポートを提出している日々のほうがマシだった。意味がないとはいえ、課題を与えられていた日々のほうがまだやることがあった。そうして私は退職届を会社に提出したのである。

 端的にいって、私は労働に向いていない。物流会社は体力的にしんどくなって辞めたが、週五日一日八時間座ってインターネットサーフィンをしているだけの仕事も耐えられなかった。一体どんな仕事であれば続けられるのだろう。仕事を辞めて3週間が経った。未だ次の仕事探しはしていない。

Yについて その5

Yについて その4 - 日記 の続き。

 その後、Yとは何度か肉体関係を持った。そのたびにYとの関係は悪化していった。そして関係は唐突に終わりを迎える。「初めて」の日以降、セックスを欲し続けた私と、性欲の対象としてしか見られていないことに自尊感情を傷つけられたY、というすれ違いの構図が、破滅的な破綻を招いた。今回はそのことについて書こうと思う。

 Yは男性との肉体関係について、「曖昧さ」を美徳とする人だった。一度肉体関係をもった相手に対して、会ってするのか、しないのか、その場の雰囲気で決まるようなセフレ関係を理想とするらしかった。勿論そこには、Yが気分でないときは、スッと性欲を自制できるような紳士的配慮が求められる。肉体関係が続いていることさえも、曖昧さの霧のなかに溶けて霧散していくような、そうした友人関係を望んでいた。自尊心が元々低かったYにとって、自分の体を男性の友人に差し出すことは、そのとき嫌でなければ「たいして重要な事柄ではない」ということらしかった。当時の私には、その感覚が根底から理解できなかった。

 一方で私は、自分とYの関係が「曖昧さ」のなかに置かれることが不安で我慢ならなかった。「あれはいったいなんだったのか」と、白黒きっちりつけたい、という立場だった。私が経験したYとの性的接触も、性的イメージの洪水がぐちゃぐちゃに絡まりついて、「混乱」を解きほぐさないことには、どうすることもできなかった。そのためにはセックスを「言語化」し、当事者であるYと「共有」する必要があった。その帰結として、セックスの感想を文章化して「膨大な文章」としてYに送り付ける、という愚行に及んでしまった。ある程度の人生経験を積んだいまならわかる。セックスした相手から長文の感想メールが送られてきたら普通に気持ち悪い。たとえその夜が心地よい時間だったととしても、一瞬にして生理的嫌悪を抱きかねない。そうした「当たり前」の感覚が、当時の私にはわからなかった。

 そのことについて、Yは「表現しつくしてしまうことが悪い」と言った。そして「たびたびセックスを求められたこと」および「自分が性欲の対象としてしか見られていなかったこと」が嫌で嫌で仕方がなかった、と詰問された。たとえ好きな人に性欲を抱いていたとしても「相手に伝えずに性欲を処理すること」と「嫌がっているときには欲情を自制すること」が「愛情表現」なのだ、というのがYの意見だった。そしてYにとっては恋愛感情と欲情することはイコールで、「恋愛感情を持てないあなたに対して、セックスで欲情することはできない。ごめんなさい」と言われた。このことは決定的に私の男性性への自尊感情を打ち砕いた。もはや、Yが私に言った通り「相性が悪い」としか言いようがなかった。事後の寂しさをバーバルなコミュニケーションで埋めたい私と、ノンバーバルな機微を正しく読み解くことが肝要だと考えるYでは、「セックスの相性」を差し引いたあとのコミュニケーションにおいても、相性が悪かった。肉体関係をもってしまったことで、Yとの友人関係には修復不可能な亀裂が生まれてしまった。

 一般に、こうしたことはセックスするまで予見することが難しいのだろうか? どれだけ丁寧に信頼関係を積み重ねていっても、「セックスすること」で壊れてしまうのなら、もう今後一生まともに恋愛できそうにない。セックス以前の、”遠い対象”を追いかけるだけの消極的な恋愛しかできない。「壊れてしまうときは壊れる」というのが真理なのだとしたら、友人関係が「なんかいいな」に発展するような恋愛は、私には一生できないかもしれない。せめて、これからセックスする人がいるとしたら、その人を傷つけないようなセルフコントロール術について熟考することが、まだ生産的な営みだといえるだろうか?

 Yとの「初めて」の日から一週間、私はセルフコントロールからは程遠い「混乱」の渦中にあった。まず、実感したのは性欲の異常な高まり。すべての性的表象が、私に殴りかかってくるように感じられた。ふだん、性嫌悪から敬遠していたAVも、この時期はたくさん見た。AVをみるだけで生々しい感覚がよみがえってくる。フェラチオのシーンでは、まるでいまYに性器を舐められているかのようにゾクゾクとする感覚がよみがえった。そうして、AVを見てする自慰の快感は、三倍増しのように感じられた。それでも、AVを見ることで何故か「傷つくような」ダメージを受けていることが、自分でもわかった。その正体がわかったのは、Yとの二回目の夜*1を経験して、Yへの恋愛感情を自覚してからである。

 肉体関係をもってから、Yのことを好きになってしまった。Yへの好意を自覚してから、他の女性の裸体を見ることが苦痛になった。映像でも想像でも、他の女性の体を想起すると、引き裂かされる思いがした。「好きな人でしか抜きたくない」。その頃の私は、Yの体しか見たくなかった。そのことが、Yへの直接的な性欲の表明へとつながり、Yの自尊感情を傷つけたのである。Yの肌の色が「珍しかった」ことも、セルフコントロールにおいては災いした。Yの体格、Yの肌の色をもつAV女優は皆無に等しかった。AVで自分を騙しながら欲望を代替することは、不可能なように思われた。私の場合、不幸なことに「好きな人に誠実でいること」と「性欲の対象であること」はイコールだったのである。好きな人を傷つけないためには、自分のこの性的指向にどうにかして折り合いをつける必要がある。性欲を表明しないようにしつつ、しかも自分が傷つかないように余分な性欲を処理しなければならない。これがどれだけ難しいことか、ご想像いただけるだろうか。私以外の人にこの苦痛を上手く伝えられる自信がないし、分かってもらえるとも思えない。自分の好意が一途であればあるほど、その人のことを考えて抜く以外に自分を保つ方法が無くなってしまう。生涯、このことにどうすれば折り合いをつけていけるのか、考えていかなければならない。

 Yと「初めて」肉体関係をもってからおよそ半年間、Yを含め私は多くの人々を傷つけてきた。目を覚まさせてくれたのはAの存在*2だ。自室でAと二人きりになって、Aの前で最後の最後まで自分の性欲のコントロールに努めたにも関わらず、結果的に加害してAを傷つけてしまったことが私の目を覚まさせた。Aのした”ある行為”が私に「性的同意」であると勘違いをさせた。それでもYが忠告したように「嫌がっているときには欲情を自制すること」を守ることさえできていれば、途中で「勘違い」に気づくことができたはずだ。Aとの出来事は、とてもでないけど「Yについて」のように赤裸々には書けない。Aに対しては、私は秘密を守る義務があると感じている。このことは、書ける範囲のなかでまた機会が訪れたら述べたい。

 最後に、Yとの性体験を経てよくなったことも書き残しておこう。そうでないとYも私も浮かばれない。まず、女性に対して物怖じしなくなった。ごく軽いスキンシップへの恐怖心もだいぶ薄らいだ。それでもまだ距離の詰め方の近い女性に対する若干の苦手意識が残ってはいるが。また、女性と比較的仲良くできるようになった。自分の性的指向が女性全般ではなく、「好きになった人」に限定されることがわかったためだ。そこには男性が含まれる可能性だってある。「一般の女性を性的な目で見なくなったこと」と、「『受け身』の立場を感覚的に理解したこと」で、女性の話に共感を示せる機会が多くなった。これまで理解の埒外にいた「異性」という存在ではなく、一人の人間として女性のことを見られるようになった。そして女性の話すことばが自然と「自分のこと」のように感じられるようになった。女性が身を置く立場、考える内容、思考の展開について一種の共感性を得たのかもしれない。

 反対に男性への共感性は損なわれた。端的にいえば「男性のホモソーシャル」を共有することができなくなってしまった。語弊を恐れずにいえば、同性/異性の感覚が反転してしまった。女性のほうをより「同性」だと感じ、男性のことを「異性」と感じるようになった。この感覚は上手く説明することができないし、なぜ生じたのかもわからない。ただ、肝に銘じて置かなければならないことは、シスジェンダーヘテロセクシュアルの女性にとって、私は「男性である」ということである。私のセクシュアリティがいかに複雑で、女性に親近感を感じていても、目の前の女性にとって私は純然たる男性だ。そのことは決して忘れてはならない。「危険な男性」として警戒されるような振る舞いは、意識的に避ける必要がある。

 「女性恐怖症」だった私*3が女性とごく普通にコミュニケーションがとれるようになった反面、共感ベースでしか話が展開できないために互いに恋愛対象として発展していく、ということが無くなってしまった。これはこれでいいことなのかもしれない。しかし、私はこれから先どうやって「恋愛」していけばいいのだろう?

Yについて その4

Yについて その3 - 日記 の続き。

 こんなこと「Yにしか頼めない」と思った。でもいざYの目を見た瞬間、「もう引き返せない」と思った。Yの目つきが変わった。真っ直ぐに私を射抜くYの視線。バタバタ、と音が聞こえてきそうな鋭いまばたき。Yの目元に意思が宿っていた。これはこれからすることの意味が分かっている人の目だ。

 Yに組み敷かれて身動きがとれない私に、骨と骨が当たって痛みが伴う、力加減のコントロールが行き届いていない強すぎるハグ。痛い。恐怖に呑み込まれて手足のふるえが止まらない。やがてそれは、私の上半身を起こして抱擁するような、優しいスキンシップに変化していく。私の緊張と動揺をYが察してくれたようだ。15~20分くらいはそうしていただろうか。Yは私のふるえが止まるのを静かに待っていてくれた。気持ちが落ち着いてくると、女性との初めての「ゼロ距離」抱擁は、別の本能を呼び覚ましてくる。

「脱がせてもいいですか」

 私は思わず口にしていた。それから少し間があって、躊躇いがちに、

「……好きにしていいですよ」

 という答えが返ってきた。脱がし方が分からなかったので、半ばYに手伝ってもらいながら、そのまま繊細なレースのワンピースをゆっくりと脱がしていく。黒の上下の下着が露わになった。Yの深い琥珀色の肌に、黒いブラとショーツは眩いくらいに映えていた。ブラのホックを外して、Yの小ぶりな胸が露わになる。初めて生でみる女性の体。Yの乳首に目を奪われた瞬間、私のなかで「性欲のスイッチ」がカチッと入った感覚があった。半時間前まで恐怖で震えていたのに、突如眠っていた自分のなかの男性性が目覚める感覚は不可解ですらあった。Yの体は美しい。ブラックオニキスのような静謐さをまとう乳首の美しさに、思わず見惚れてしまった。どうしても触れたくてたまらなくなった。

 そのままYの体の曲線をなぞるように、腹部を通って、私の指先はショーツへと伸びる。いちいち許可をとって、私はショーツの股布をずらした。そこから露わになる、黒のショーツのクロッチ部分とYの陰部。きれいに手入れされた陰毛とクリトリスと小陰唇が露わになった。大陰唇の毛は丁寧に剃り取られていた。視覚的な刺激から得られる精神の興奮が最高潮に達する。そこで「恥ずかしいよう」というYのうめきが、妙に嘘くさく響いて、私は少し可笑しくなってしまったのだった。Yのショーツをゆっくりと脱がしていくのに並行して、私の衣類もYに脱がしてもらった。その流れでキスをしてもらった。「初めてが私でいいんですか?」というYの問いかけで私はせつない気持ちになった。瑠花ちゃんの顔を想起しながら、いや、これでいいんだ…とせまってくるYのくちびるに自分のくちびるを合わせた。ファーストキスの印象は「レモン」の味だった。月並みな表現だが、Yがつけていたリップクリームの質感が混ざっているのだろう。くちびるが吸い付く感覚に遅れて、脳の奥がジンとしびれる快感が訪れて、下半身に血がめぐる。あ、「男性はキスすると勃起するんだ」という理解が後から遅れてやってくるのだった。ベッドの上で抱き合って、Yにリードしてもらいながらしばらく夢中でくちびるを貪った。

 攻守が入れ替わるように、今度はYをゆっくりと押し倒して体の各部を愛撫する。ときどき痙攣するように体をビクッとさせるYのしぐさをみて、愛撫とは相手の反応をみながら勘所を探っていく営為なのだな、ということを知った。そのまま乳首を舐めて、愛撫して、Yの反応をみていく。流れで、愛撫はクンニリングスへと移った。「そんな、そこまでしなくていいですよ」と急にYは真面目になった。それでも、私は「舐めたい」と思った。「綺麗」だと思った。初めてでも抵抗感はなかった。Yの体のどこにも「汚い」ところなんてない、とさえ思えた。そして許可をとって右手の中指を静かに膣口へ挿入させてもらう。Yの反応をみながら抜き差しのリズムを探った。

 Yはしっかりと「反応」してくれた。しかし私からみれば、Yが私に欲情していないことは明らかだった。そのときにはもう頭のどこかで思考が冷静さを取り戻していた。Yは「初めて」女性をリードしようとがんばる私のために、「演技」してくれていたのだ。その優しさに胸がいっぱいになると同時に一抹の寂しさをおぼえた。そこで「いったんクールダウンしましょう」といって行為を切り上げた。そのとき、Yがなんと言ったのかはもう覚えていない。でも「初めてでも女性の『演技』がわかるんですね」みたいなことを言われた気がする。そのまま流れで女性がされたら「痛い」こと、私の愛撫の手順で「間違って」いた部分をレクチャーしてもらった。

 また攻守が逆転して、今度はYの番。ベッドに仰向けに寝かされて、Yが私の性器を咥える。女性優位の姿勢で、フェラチオをしてもらった。フェラチオの快楽は想像を絶していた。自分で手淫するのとは根本的に違った。快楽の質から量まで何もかもが違う。思わず喘ぐ声が自分の口から漏れ出た。しかし、Yには数十分がんばってもらったにも関わらず、私は達することができなかった。快楽の大きさとそれが射精感に達するかどうかにはあまり関係がないのかもしれない、と思った。少し休憩を挟んでから、位置を変えてシックスナインの体勢になる。Yが私の性器を咥えると、私の舌はYの小陰唇に届かなかった。Yの胴が短かったからだ。体格差があるとできないプレイもあるのだな、ということを考えながら、私はYの臀部が織りなす美しいアンバーのグラデーションと湿った性器をながめがら、勃起の固さを維持して射精感が訪れるように意識を集中させた。それでも私は達することができなかった。

 結論からいうと、その日私は射精することができなかった。しかし同時に、男性の身体でも射精に拠らない快楽が得られる、ということがわかった。Yとのプレイでいちばん気持ち良かったのは、ベッドに仰向けに寝て乳首を舐められながら手淫される行為だった。これが想像を絶する快楽だった。男性の乳首に、これほどの快楽機関が眠っていたなんて。乳首を舐められて刺激されつつ、陰茎を扱かれると、相乗効果のように刺激が高まりあって強烈な快感が押し寄せてくる。私は快楽に身を委ねるように、声を出して喘いだ。押し寄せてくる身体的な快楽と同時に、相手に手綱を握られていることにも高揚した。男性性を手放して、「受け身」でいるセックスはなんて「楽」なんだ、と思った。さらに私は相手に支配されることに、精神的な高揚を覚えるタイプらしかった。もしこの場にローションとペニスバンドがあれば、そのままYにアナルを掘られてもよかった。屈服することとは、なんと甘美なのだろう。私は「受け身」でいるセックスの快楽を知ってしまった。

 それでも私は自分の男性性への自信を取り戻したかった。プレイが一巡した頃、Yにこのまま「挿入させてほしい」と懇願した。すると、

「████████から無理 」

 と言われた。Yが悪気なく放ったこの一言が、私の自尊心をずたずたに切り裂いた。なんて言われたのかは一言一句覚えているが、どうしてもここには書けそうにない。それほど私の脳裏に刻まれて、トラウマになってしまっている。いままで性別に関係なく一人の人間としてみてきたYに対して、「女」と「男」の断絶を感じた。男性の自尊感情の問題は女性にはわからないのだ、と一人で被害者意識に囚われたほどだ。挿入を拒まれたこと自体は「性的同意の問題」なので、(それ自体は私にとって悲しいことだけれども)ここでは問題に取り上げてはいない。その理由の部分が、私にとっては理不尽で「傷つけられた」と感じたものだった。Yはそのことに関して、そのとき特段問題とは感じていなかったようだ。後日、随分後になってからこのことを話し合って「私が傷ついたこと」と「Yが隠したかった本当の理由」を互いに知った。

  気が付くともうとっくに日が暮れていて、終電の時間が近づこうとしていた。私はYに放たれた言葉のショックで混乱したまま、Yが帰るのを見送ることになってしまった。Yが帰ってがらんとした部屋で、私は一人放心していた。その日得た感情と快楽と絶望がごちゃまぜになって、あとには「混乱」が残った。私はなぜYと肉体関係をもってしまったのだろう? 思考がまとまらないまま、その日は意識が途絶えるように寝落ちしてしまった。

 翌朝、学校にいくためにシャワーを浴びていると、唐突に乳首を舐められたときの感触がよみがえった。昨晩のセックスを反芻する。頭から浴びたシャワーの雨に混ざって、私の目から一筋の涙がつたった。理由はわからないが、ただただ物悲しい気分だった。シャワーに打たれながら昨日一日の流れを思い出す。駅で待ち合わせて、映画をみて、二人で一緒に電車に乗って、私の住んでいるマンションのエントランスをくぐった。ここまでは「デート」だった。いちばん楽しかった時間は、映画を観る前に食べたランチの時間だった。映画まで少し時間があったので、アトレ恵比寿のレストランフロアを散策して適当なお店を探していた。私はバーガースタンドでハンバーガーを食べたい気分だったのだが、Yが「タイ料理」が食べたいと言った。私も特にこだわりはなかったので、Yに先導されてタイ料理のお店に入った。テーブルにつくと、不意に周りの女性客からの視線を感じる。男女でお店に入ると、「カップル」の男側は、他の女性たちから品定めされるのだ、ということを知った。一人で飲食店に入ったときにこのような視線を浴びたことはない。Yについて その3 - 日記 で書いたが、この日の私とYは互いにバッキバキにキメていたので、なるほど「カップル」に見られても仕方ないな、と思った。しかしYと私はただの気の置けない友人だったので、そのように周りから視られている、ということがなんだか可笑しかった。そのあと二人でランチメニューから適当にセットを選んだのだが、その量が思った以上に多かった。渡されたメニューの表記からはとてもじゃないけど想像もつかない、非常識な量だった。食べても食べても量が減らない。映画まで結構な時間の余裕があったはずなのに、だらだらランチを食べながら雑談をして時間を過ごしていたら、間もなく映画の時間というところまで来てしまった。結局、二人ともランチを残した。「ちょっと多かったね」といって笑いあった時間がもう遠い昔のようだ。

 嗚呼、もうそのときの関係には戻れないのだな……という後悔が、私の目から涙を流させているのかもしれなかった。こんなひとときの感傷なんてシャワーに洗い流されてしまえ、と思いながら、それでも疼く乳首の感覚に、私は戸惑いを覚えるのだった。

 

(続き→)Yについて その5 - 日記

Yについて その3

Yについて その2 - 日記 の続き。

 今回は「初めて」の日のことを書こうと思う。正直、まだ気持ちの整理がついていないし、書く決心もついていない。しかし、少なくともその日までYが私の身を委ねるにあたって「信頼に足る」人物であったこと、そして「Yにしか頼めない」という切迫した思いがあったことについて、書き残しておきたい。

 その思いとは何か。端的に言って、私は「女性恐怖症」だった。幼い頃の母との関係から、私は女性から触れられること、あるいは体を「視られること」に対する強い恐怖心が芽生えていた。私は女性への根源的な恐怖と、これまでの人生で何の根拠もなく信じてきたマスキュリニティとの間で、引き裂かれたきたのだ。その間に経験した手痛い失恋の記憶で、私は身も心もボロボロに成り果てていた。瑠花ちゃんに淡く抱いてしまっていた恋心さえ、導火線に火がついていまにも爆発しそうな、身を焦がす衝動だった。

 Yと出会ったのは、そんなときである。瑠花ちゃんのイベントの帰りに声をかけて挨拶してから、次に会ったのは瑠花ちゃんの出演する舞台の現場だった。それはこんなお話だった。カフェの店長夫妻が懐妊祝いをしているお店に、奥さんの元カレと、元カレに片想いする女性(喫茶店店員の姉)がやってきて…という人間模様を描いたお話。会期中、観劇後にYを誘って「感想戦」をする、ということを幾度か繰り返すうちにYとは自然に打ち解けていった。その折にポロっと過去の恋愛のトラウマを話してしまったのが、私がYにみせてしまった弱みだったのかもしれない。舞台劇の登場人物への共感から、自然に漏れ出てしまった私のことばだった。Yは複雑そうな表情で、しかし親身になって私の話を聞いてくれた。

 それからYとは頻繁にメールをしたり、ごはんを食べに行く関係になった。友人として、話が尽きることのない相手だった。勉学で忙しく会えない間も数日おきに長文を送り合って、それに長文でレスを返す、というやりとりを行なっていた。私はYの堅い文語調の文体が大好きだった。一度に送る文章の量は際限なく増えていった。Yとのやりとりが負担に感じ始めていた頃、丁度Yが興味を持ちそうなイスラーム映画の上映案内を見たので、一緒に観に行きませんか? と誘った。その後、うちで遊んでから解散しよう、ということになった。そうしてやってきたのが、冒頭の「Xデー」、すなわち「初めて」の日である。

 待ち合わせ場所で待っていたYは「目一杯お洒落をしてきた」という感じだった。その日着てきたのは、レースの柄が大きく入った女性的なワンピースで、これまでみたYの装いのなかでもいちばんお洒落なものに見えた。正直、一目見た瞬間、恋心にも似た胸の高鳴りをおぼえてしまった。私の好みにドンピシャだったからだ。当時のYにはワンピースに合わせてハンドメイド作家の一点もののアクセサリーやあやしげなイミテーションパールのネックレスなどを沢山つけて「盛る」というこだわりがあった。その日のYは、まるで持っているアクセサリーを全部身に付けてきたかのような、いわゆる「全部盛り」コーデだった。

 それに対して私が着ていったのは、ポールスミスのチューリップ柄のカジュアルシャツと、チューリップの赤に色調を合わせたレッドピンクのチノのトラウザーズ。靴は底がレザーソールの、バーガンディのUチップを合わせた。その日の私とYは、誰が見ても「カップルのデート」にしか見えなかったに違いない。ファッションに関して、互いに120%の全力を出し過ぎてしまった結果、映画を観る前からなんだか気恥ずかしい雰囲気になってしまった。そんな男女が映画を観たあとに男の家に行ったらどうなるか。小学生でもわかる愚問である。しかし、そんな浮かれたムードとは対照的に、Yと私は、その日観た映画のテーマに関して真剣だったし、私の家でコーヒーを振る舞った後も熱烈に感想戦を交わした。

 映画のタイトルはもう覚えていない。内容は政教分離が原則のトルコの村で生まれた少女たちが、物心ついて初潮を迎えたあとで、イスラームの教えに則って心身の自由を奪われていく、という物語だった。少女たちは第二次性徴を迎えてから信教を選べるはずなのだが、村には実質的にその自由がなかった。閉じられた窓から見る青空のショットが、彼女たちの体験した閉塞感と混乱を象徴するような映像だった。幼少期の性的抑圧をテーマに描いた映画を見て、Yに自分の解釈を話していくうち、私の目からは自然と涙がこぼれた。それをみてうろたえるY。そのとき、Yと私は、私の家という密室で二人きりになっていた。

 私はたどたどしく、自分の身の上話と幼少期のトラウマをYに語り始めた。女性に対して恐怖心をもっていること。過去の失恋から自分の男性性に自信がもてないでいること。そして25歳を超えて未だ童貞であることへのコンプレックス。ここまで親身になって話を聞いてくれたYに対して、意を決して「経験させてほしい」と頭を下げた。清水の舞台から飛び降りるような覚悟だった。私の身を委ねられる相手はYしかいない、という大切な友人への信頼からくる思いだった。だが、私のために「全部盛り」コーデで臨んでくれたYの可愛さにあてられてしまった、という側面もあったのかもしれない。

 私もすべてを経験しようというつもりではなかった。まずはハグから。女性に触れられることへの恐怖の払拭から。「まずは私をハグして欲しい」と、そうYにお願いした。そこから体験した恐怖は一生忘れられない。

 ベッドに仰向けになっている私をみて、意を決してベッドに上がり込むY。そのまま私のお腹の上に馬乗りになって、上半身を抱き寄せるようにハグをしてくる。怖い。骨が当たって痛い。どうしよう耐えられない。やめてほしい。体が震えてる。やめてほしい。Yが私を見る。目が怖い。やめてやめてやめて。

 体重40kgもないYの軽い体を押し除けることができなかった。

 書くのがつらくなってきたので、ここで一旦筆を置きます。

 

(続き→) Yについて その4 - 日記

Yについて その2

Yについて - 日記 の続き。

 Yについてどれだけ書いても書き足りない気がするのは、おそらくYとの関係を「口外しないで欲しい」と言われていたからだ。瑠花ちゃんの現場で出会ったYとは、大学も別で、共通の知人もおらず、日常生活での接点もない。肉体関係をもってからは、互いに互いにしか秘密を打ち明ける相手のいない、私とYだけの閉じた「共犯」関係に閉じ込められてしまった*1。それは、「初めて」の性体験で根本から身体感覚が変わってしまい*2、混乱の渦中にあった私にとって、過酷な環境であった。私は自分の混乱を誰にも打ち明けることができず、そのままずぶずぶとYに依存していった。

 私はYとの性体験で得た恐怖と快楽を「言語化」せずには飲み込めなかった。それを文章にしてYに送りつけてしまったことが、Yの中に生理的な嫌悪感を植え付けてしまったのだといまでは理解している。ただそのまま「流せば」良かったのだ。でもそれができなかった。Yが生きる世界の「常識」は、私にとっては常識ではなかった。私には、自分の身体感覚を根本から変えてしまった性体験を「Yと共有する」必要があった。その異常な熱量が、Yの中で私に対する「気持ち悪さ」を生んでしまったのだと思う。

 そこから先は地獄の日々だった。Yに拒絶され、誰にも相談できず、精神の変調をきたして、仕方なくYに「助けてもらう」。そこにはYが望まないセックスも含まれていた。私の欲求を断りきることができずに流されてしまうYは、「あなたと私は相性が悪い」と私に向けて言い放った。そのことに私はとても傷ついた。じゃあいったい誰に「私の混乱」を打ち明ければいいの? 私は自分の中に生じた抑えのきかない性欲と、Yの体を渇望する肉欲と、空がいまにも落ちてきそうな罪悪感で、文字通り「混乱」していた。被害者意識のほうがまさって、Yのことを考えていられる余裕なんてなかった。その不毛な日々の中で、知らず私はYの尊厳を陵辱していたのである。

 そして、いまも現在進行形でYの尊厳を犯し続けている。

Yについて - 日記

上の日記の中で、私はYを裸に剥いた。丸襟のワンピースを脱がして、静かにベッドに押し倒したあの日と同じように。一糸纏わぬYの裸体を、上の文章を読んだ読者の衆目の下に晒している。思うに、「書くこと」は所有することに似ているのではないかと私は考える。現実の一部分、瞬間を切り取って「写しとる」ということは、それを「所有する」ということだ。

Aについて - 日記

この中で書いた「2枚の写真」も、その所有行為と通ずるものがある。一方で、私の表明した考えと矛盾するが、写真とは違ってテクストの読み手が想像するYの裸体は、私が識っているYの体、厳密に言えば「私の想起するYの体」とは一致しない。そこにテクストの綾がある。

 私がYの尊厳を護りながら「表現する」には、Yに関する描写はフィクションでなければならない。Yを匿名化し、同時にキャラクター化すること。そのことによって、Yに絶縁されたいまも、私のなかでYは「キャラクター」として生き永らえる。それがトラウマを克服する唯一の方法なのだ。

 繰り返しになるが、私はYとの肉体関係を「口止め」されていた。互いに限界になって、「もう他の人に相談してもいいですよ」と言われてから、少しずつ人に語り始めるようになった。それから4年経ったいまでも、あのとき「人に話せなかった」という思いが、私に筆を取らせ続けている*3。どうしてもそのときの無念を昇華することができない。

 Yとの関係は「秘密」にしなければならなかった。それゆえにYと一緒に撮った写真は一枚もない。普通にピースをして笑い合うツーショットセルフィーを撮りたかったなぁ…。どれだけ言葉を尽くしても、時間はもう巻き戻らない。

 Yと一緒に写真を撮りたかった。悔やんでも悔やみきれない。

 

(続き→)Yについて その3 - 日記

*1:余談だが、「瑠花ちゃんに打ち明けてしまってもいい?」とYに訊いてみたら、冗談じゃない、「絶対にやめて。」と激怒されてしまった。流石に反省している。

*2:自分史のなかで、「それ以前/それ以後」と位置付けてもいいくらい、自分の身体感覚が180°変わってしまった。また書けることができたら、なにか書きたい。

*3:きっと私は、私のゴッドである瑠花ちゃんに"告解"したいのだ…。オー・マイ・ゴッド。