12月28日(金) 晴れ

お茶会に行くのに家を出る前にお茶が飲みたくてお茶を淹れたあげく、開会に遅刻してしまうのは何故だろう。けれど今日は出入り自由の会だったので、気にせずのんびりと朝のティータイムを過ごした。

今日は上野桜木の閒茶(かんちゃ)さんで忘年茶会。お茶が好きという積極的な理由もあるのだが、お酒の飲めない私にとってこのように人と集まってお茶を飲みながらワイワイできる会はたのしい。特に閒茶さんは茶器の心配をしなくていいので、身軽な格好で参加できるのがいい。ただし、自宅から近いのに微妙にアクセスが悪いのが難点で、直線距離はそれほど遠くないのに路線が入り組んでいるので乗り換えで大分行ったり来たりしないといけない。乗車時間5分・歩きで30分のプランと、乗車時間25分・歩きで10分のプランを比較して、風が強く冷え込んでいたので後者を選んだ。今日は焦らずのんびり向かおう。

開会から30分遅れでお店に着くと、幹事のらくゆきさんと友福さんが先にいらっしゃった。友福さんがいて一安心。らくゆきさんには前の会で「朝から行く」と伝えていたのだけど、遅れてしまったので一人になっていないか少し心配していた。出入り自由の会で、幹事が開会から一人で参加者が来るのを待つ光景を想像すると、私なら寂しい。ご店主のWさんもいらっしゃるので、持ち寄り茶会よりは寂しくないかもしれないが。

着席して早々に黄金桂の緑茶と、蒙頂甘露を頂く。冷えた体に緑茶の滋味が沁み渡る。私の仕事の話から転じて、本の話で盛り上がる。らくゆきさんの昔読まれていた本のタイトルを聞いて、妙にしっくりときた。小野不由美十二国記新作の話をしていた頃に鏑木さんが来て、その後続々と参加者が集まってくる。忘年茶会で印象に残ったお茶をいくつか挙げたい。

・白芽奇蘭20年物(淹れ手: 友福さん)

陳年物の白芽奇蘭。しっかりと火の入った強焙煎の白芽奇蘭で、特有の甘い香りと焙煎香のハーモニーがおいしい。後味の雑味や生臭さのないカラッとした焙煎香で、甘さの質と香り方が陳年することで良い方向に深みを増しているのがわかるお茶でした。白芽奇蘭には「白芽奇蘭」としか言いようのない特有の味わいがあって、究極的には飲んでもらわないと伝わらないものがあると思っている。私が白芽奇蘭を初めて飲んだのも友福さんからの頂きものなのだけど、それ以来自分の中で妙に気になるお茶になってしまった。まず、日本ではあまりお目にかかれるお店がない。チェーンのお茶屋さんではまず取り扱ってないし、おそらく知名度も殆ど無いのかもしれない。産量や仕入れのルートの話は私にはわからないが、買えるのは独立系の個人店の通販か中華街のお茶屋さんくらい。友福さんのお店でも近々扱われるという話を聞いたので、楽しみにしたい。

・今古茶籍さんの千年紅茶 単株(淹れ手: 友福さん)

テレビでいま話題のお茶。個人的に金毫紅茶の類は好んで飲まないのだが、このお茶は甘みの中に透き通った香りの良さと、疲れた身体に沁み渡るような長く続く余韻が感じられておいしかった。発酵したエキスが茶葉を金色に染めるゴールデンチップは、普通の茶葉の中に適正比率で含まれている状態がいちばん美味しい、というのが私の考えで、雲南大葉種の金毫だけになるように製茶された中国紅茶は一般的に甘み中心のバランスで物足りない。一度アッサムのゴールデンチップだけをピンセットで選り分けて飲んでみたことがあるのだが、ゴールデンチップだけを寄せ集めて淹れたお茶は底を下支えする味わいに欠けていて、香りも良くない。逆に残りの茶葉だけで淹れると、これもブレンドされているときよりも単調な味わいで、イマイチなのだ。両者はルーツが同じだけあって香りはよく似ているのだが、茶葉とエキスを噛ませたゴールデンチップとでは味わいが大きく異なる。それ以来私は、ゴールデンチップの含まれたオーソドックスアッサムを「同じルーツを持つ違う味わいのブレンド素二種のブレンド茶」と認識するようになった。故に、ゴールデンチップをそれ単体で有り難がるムードには懐疑的である。ゴールデンチップだけで味を作る金毫紅茶はインド紅茶のアッサムとは茶樹の品種も土壌も味のバランスも何もかも違うのだが、「ゴールデンチップ」一般に対する私の認識は先に述べた通りである。金毫紅茶の味わいが好きなのであればそれは勿論飲む理由に足るが、単に「希少性があるから」という理由では私は手を出さない。人に淹れて貰うことで触れることができたお茶の縁に感謝しつつ、金毫紅茶一般に対する自分のスタンスもここで一度表明しておきたいと思った。

・HOJOさんの宮廷金毫熟茶2017年(淹れ手: ゆえじさん)

これはある意味「不意を突かれた」お茶だった。仕事で早抜けする用意をしていた私が帰り際に飲んだお茶で、一口茶液を含むと身体の内側から生命力が漲ってくる気がした。疲れが吹き飛ぶ。なんだろう、味わいはプーアール熟茶という感じなのに妙に精が付く。HOJOさんのページによると「宮廷普洱」というのは等級区分の一種で、緊圧前にふるいにかけて新芽だけを集めたお茶を指すらしい。浅学ゆえに詳しいことはわからないのだが、このお茶のファンになってしまったので後で注文しようと心に決めた。

お茶以外でも印象に残ったことを書き記しておこう。しろの姐さんの和装がよかった。着物というともう少し仰々しいものを想像していたのだけど、しろさんが着てきたものは普段使いできそうなカジュアルな柄のものでかわいい。着付けのことはわからないので、見るべき所を見られている気はしないけど、着物を"カジュアルに装う"というマインドがなんかいいなと思った。私も手持ちに余裕ができたら和装にチャレンジしてみたい。

あとはしろさん繋がりで、なんとなく淹れる機会を逸して持て余していた青蛾さんの大紅袍を淹れて貰えたこと。淹れるのに躊躇してしまう代物ということは、裏を返せば「誰が淹れてもおいしく淹れられるグレードのお茶」ということでもある。それが蓋碗に慣れていない人であっても。

質の良い岩茶は、煎を重ねるにつれての味わいの変化がクイックに掴めるという点で「練習用にも最適」というのが私の考えで(一般に高価な茶葉ゆえ同意は得られないかもしれない)、しろさんの練習になるならと喜んで提供した。持て余していた茶葉を人に淹れて貰えるなら、これ以上の喜びはない。らくゆきの姐さんによる「マンツーマンレッスン」で緊張するしろさんの姿をすぐそばで見ていて、とても微笑ましい気持ちになりました。(淹れて貰ったお茶もおいしかった)

名残惜しい気持ちを残しながら、約束していた本を渡して店を出る。そのまま歩いて職場へ。お茶をしこたま飲んで暖まったので、それほど寒さは感じなかった。

職場に着くとカウンターの中に「地獄」が広がっていた。荷物の量が多い。年内は一応明日まで荷が届くが、土曜日の配送なので、「仕事納め」とでもいうべき体で平日の荷物を今日まとめて送ってきたのだろう。版元と取次に仕事納めがあっても、われわれ書店に「仕事納め」なるものは無い。先方がコミックを送ってきた分だけ、われわれは殺到する客を捌きながらシュリンクをかけないといけない。

レジも忙しかった。お客さんが途切れないので、レジ内作業が滞留する。朝のスタッフがコミックに半分くらいしかフィルムをかけられなかったのも頷けた。残り半分は私がフィルム掛けをして、シュリンク機に通さなければならない。休憩の20分前頃に漸くフィルムを掛け終え、シュリンク機の火を入れる。カウンター内に山積みになった本を殆どシュリンク機に通さないまま、作業を店長にバトンタッチして休憩に入る。この間、自分の作業は全くできなかった。

休憩時間は安眠『都合のいい女』(B.Pilz COMICS)を読んだ。重たい女(♂)になりたくなくて、好きな人の前でドライに振る舞って体だけの関係を貪る受けだったが、小狡い生き方が災いして風邪で寝込んでいるときにラインを送ってもうわべだけの友人たちは見舞ってくれず、セフレにはレイプされてしまう、というショッキングな内容。受けに好意を寄せる攻めだけが、受けの体調を気遣って見舞ってくれる。体だけの関係で付き合ってきた人たちは「私」のことを本当に大切にはしてくれず、あるいは「貴方」が弱っていても性欲が抑えられずにレイプしてしまうなら、それは「体だけの相手」でしかない、ということなのだろう。そういった心の機微をとても丁寧に描いているBLだった。絵が綺麗な割にシーンの盛り上がりは平坦で、どちらかというと登場人物たちの思考を「読む」、思弁的な作品だと感じた。こういう、読んだ後にしっかりと感想が残るタイプの作品は良い。推したい。

休憩から戻ると客足は一旦落ち着いていたが、まだまだ忙しい。店長の作業が未だ終わっておらず、閉店30分前に時間を作ってくれることになった。作業時間が来るまで、淡々とレジの客を捌く。漸く時間になり、入ってきたコミックの内訳を確認する。「このBLがやばい!」関連で発注したコミックが大体揃っていて、平台展開用に数を出していたので冊数が多い。加えて、特集棚をクリスマス仕様から元の特集に戻す作業もあり、時間が切迫していることが窺えた。そういう日に限って売り場からお客さんが離れない。

売り場でお客さんが商品を物色していたら、時間に余裕があるときは遠慮して作業のタイミングをずらすのだが、今日は時間が押しているのでそうもいかない。遠目から様子を窺うと、中学生くらいの子が熱心に立ち読みしている雰囲気だったので、遠慮がちに横で作業をさせて貰うことにした。特集棚の整理を終えたところで、その子が本を戻したそうなそぶりを始めたので思案する。

BL担当なので、少女が手にしている本の内容はいやでもわかってしまう。BLの中でも特にエロ描写が濃厚なピアスシリーズのタイトルである。気を利かせて努めて事務的なトーンで「お済みでしたら私が戻しておきましょうか」と声をかけたら断られてしまった。対応を誤ってしまったかとちょっと後悔。こうなってしまっては私が折れるしかないので、動作が自然になるようにタイミングを見計らって売り場を一旦離れて、少女が手に持った本を売り場に置くのを確認してから作業に戻った。時間のロスとなったが、こればかりは致し方ない。少女であっても、自らの読むジャンルをよく自覚しているということで、一人の読み手として一目置かなければならない、と売り手の私は思った。私からすると仕事でBLを読んでいるし、入ったのも大人になってからなので「恥ずかしい」という発想自体が欠落していたのだが、「BLを読むこと」は人によってはきっと何歳になっても恥ずかしいことで、他人に立ち入られたくないことなのだ。

お客さんに「恥ずかしい」という思いをさせてしまった。こういうとき、接客業の難しさを痛感する。従業員がセールス以外の理由で客に声をかけるとき、それは例外なく「従って欲しい指示」で、お客さんには業務上の要請として指示に従って頂く必要がある。そうなったとき、どうすればお客さんの気分を害することなく、または傷つけることなく事態を収束できるのか、というレイヤーで物事を考えなければならない。今後の課題ができた。

本の立ち読みに関しては、私は書店員の中でもかなり極端に好意的に捉えている。それは女性向けジャンルを担当しているからで、このジャンルは特に立ち読みを開いても比較的買ってくださることが多い、というのが歴の長い書店員の間で伝わる経験則になっている。仮に一冊読み切ったとしてもお客さんが納得すればレジに持って行ってくださるのだが、男性向けジャンルだとこうはいかない。何故かはわからないのだが、おそらく読者の性別の問題ではなく、本自体が「納得すれば購入する」という判断を誘発しやすい構造をもつ「テクスト」なのだと私は考えている。

件の少女には恥をかかせてしまったが、彼女が試し読み本を中々手離さなかったのはそれだけ熱心に物語を読み込んでいたからで、その経験が彼女の糧になることを祈るほかない。ポルノに対して「自分の考えが生まれること」が豊かな読書体験であることは、何歳であっても疑いようがない。性についての自分の考え、性的興奮を覚える物事や対象の自覚、あるいはそうしてできた構築物の破壊と再生……そういった諸々がポルノにはある。ポルノについて考え続けることは私の人生のテーマであり、己の人格をときに土台から突き崩してしまう"危険な読書"への情熱がBL担当としてのモチベーションの根幹を担っている。購買力の小さい中高生層に本を買って貰えることは期待していないが、少ない小遣いを握りしめて買う本を吟味して貰えるなら書店員としてこれ以上の喜びはない。私の作った売り場は、「彼女」の世界を広げることができただろうか?

今日はとても長い一日だった。こういう日の記録をきちんとつけることが、やがて自分の糧となると信じて日記を書いていくしかない。崩れるようにして、布団へと倒れ込んだ。