12月24日(月) 断章

毎日意味のあることを書こうとすると、意味のある時間を過ごさなければ、と自らの行動に自覚的になる。日記をつけることの効用は、自分の人生を自覚的に生きることに通ずるのだと思う。それなのに今日は日記に書けないことばかり、行動を起こしてしまった。積年の想いを清算できず、何者にもなれず、ただ自らの無能力をくよくよする一日。不甲斐ない。世間のムードに左右されず、誰にも邪魔されずにハッピーに生きようと思ったのに、久方ぶりに思い詰めてしまう。「救い」は書くことにしかない。たとえ凡庸な人生であっても、全てを表現の糧にするのだ、という気概がないと生活の苦しさに耐えることができない。己が業で他人を巻き添えにする傲慢さも、我が身に降りかかる受難も、眼前にある理不尽も、全てを「表現」に昇華するのだ。だから今日は日記ではなく、自分の中の取り留めのない思考を書き記すことにする。

結論から言うと、今日は「告白」を果たした。けれど失恋させて貰えなかった。私がRを好きになったのは2016年の1月で、恋愛感情を持ったきっかけは「手が触れたこと」だったのだと思う。握手で触れた細い指の感触に妙にどきりとしてしまい、一ファンの純粋な応援だったはずの気持ちに色がついてしまった。Rのいつ消えてしまうかわからない儚さとあいまって、その体験が自分の中で特別な意味を持ってしまった、といまなら冷静に振り返ることができる。ただそのときは深い混乱と動揺の中にあって、未成年のRに私の気持ちを知られるわけにはいかなかった。そのRが今年の12月に20歳の誕生日を迎え、成人した。魔が差したのだと思う。日付が変わって、クリスマスイヴ。ひた隠しにしてきた本当の気持ちをRに伝えるには、今日しかない、と思った。告白すると同時に、こっぴどく振られたかった。特別な日でないと、特別なことをしでかす勇気がでない。私は人一倍臆病なので、今日を逃してしまうともう一生自分の気持ちを伝えられないような気がした。けれどそれはRの都合を考えない独りよがりな行動であり、結果的にRを困らせてしまった。

Rは「今ここで想いを残し伝えてくれた事を光栄に想います」と書き記してくれた。なんて大人な対応なのだろう。しかしRの言葉は「貴方を苦しめることだとしてもどうか変わらず,どこかで応援していただけたら」と続く。それは呪いの言葉だった。「Rを推すこと」から逃れたかったのに、これでは以前にも増して縛り付けられてしまう。Rから拒絶して貰えたら、半ば強制的にRとの関わりを断つことができ、今度こそRのことを忘れることができたかもしれないのに…。Rは私を振ってはくれなかった。

呪いの言葉といえば、かつてRに「一生推せよ」とTシャツに書かれたことがある。2016年の12月17日土曜日、Rのファン仲間のAと一緒にRの出演するイベントに行ったときだ。サイン入りTシャツの物販で、Tシャツを買うとRがその場でペン入れをしてくれる。Aと物販列に並んでいるときに書かれたので、内心ひやりとした。その夜Aを自宅に連れ込んでセックスした。気が散るからと、Rの配信するツイキャスを切り、そのままベッドに押し倒した。「一生推せよ」という文言の霊圧から逃れたかったのだと思う。友人に相談してみても、Rの「一生推せよ」は"営業"で、深い意味は無いと言う。Rが何を考えてこの言葉を書き添えたのかはわからない。けれど私の中では"呪いの言葉"として確かな意味を持ってしまい、いつしかRの活動を追うことは、純粋な楽しみから、義務感へと変わっていってしまった。

一体どこで間違ってしまったのかははっきりと判っている。それを書くことはまた別の機会に譲るとして、いま考えるべきことはRに「どうか変わらず,どこかで応援していただけたら」と書かれてしまったことである。Rの様子を見ていて、Rもまた生活の全てを表現の糧にしようと画策する人種なのだということがわかった。腹を括らないといけないのかもしれない。Rが表現のために他の人間とセックスをするならば、歯をくいしばりながらそれを「視る」しかない。私はRのことが好きなので、Rが他の人間とセックスすることは想像するだけでも耐えられそうにない。嫉妬で飛び降りたくなる。しかしRはもはや一人の自立した大人であり、Rから「選ばれなかった」私に、それを止められる権利は無いのだ。Rの一挙手一投足のすべてが「表現のため」であるならば、なんとか耐えられそうな気がする。いや、耐えることこそが「報い」なのだろう。そうでもないと、私を切り捨てないでいてくれたRに顔向けすることができない。