2020年3月10日(火) 雨

すべて失ってしまった。

研究も、仕事も、職場の人間関係も。

私が一方的に大切な友人だと思っている人は「すべてを失うなんてことはないですよ。」と言ってくれたけれど、空から降り注ぐ土砂降りの雨をみていると、絶望がよみがえってきてどんどん気持ちが落ち込んでしまう。

今日、応募していたアルバイトの書類選考落選の通知を受け取った。なんにしても、生活のために仕事を探さないといけない。

さて、何から話せばいいだろうか。本屋の仕事は辞めた。時給の良い大手法律事務所のアルバイトに移った。それから事実上の解雇宣告を受けた。本屋を辞めて事務所がある大手町のオフィスで働き始めた頃から、新しい仕事には納得していなかった。情報システム関連の部署で、元々ハードウェアに通じていたこともあって知識面での不安はなかったけど、自分が携わっている仕事をどうしても面白いと思えなかった。そうした不満が上司への態度に表れていたのだと思う。些細な言い争いから関係がこじれて、先月とうとう契約を終了すると告げられてしまった。「あなたは職場には必要のない人間です」と面と向かって言われるのは堪える。このショックをどう伝えたらいいのかわからない。何よりつらいのは、自分が職場で人間関係のトラブルを起こしてしまう人間だということ。一度落ち込むと際限なく自責の念に駆られる。ひとしきり絶望して、布団の上で放心して、そんなときにぼんやりと考えるのは、推しの”R”こと、瑠花ちゃんのことである。

瑠花ちゃんへの想いは落ち着いた。

瑠花ちゃんに会いに行っても、前みたいに面会でがちがちに緊張してしまうことはなくなって、慈愛の感情が湧いてくる。瑠花ちゃんの顔を見ると「落ち着く」という感覚が強い。直接対面しても、リラックスして話をできるようになった。瑠花ちゃんのことは大好きだけど、それがいまも恋愛感情なのかどうかはわからない。むしろ恋愛感情は男性に対して抱く感情のように感じる。恋愛対象は男性なのに、性的欲求は女性に感じる、というセクシュアリティの「ねじれ」。前にもまして自分自身のセクシュアリティがわからなくなってしまった。

思考の整理のために、一旦自分の性指向を「バイセクシュアル」と仮定してみる。女性に恋愛感情が持てないのは、まだ瑠花ちゃんに対して恋愛感情を抱いているからかもしれない。前に話したYや、元恋人のAのことを引きずっているからとも考えられる。それゆえ、「他の女性」に対して、恋愛的な"好き"の感情を抱くことができない、とする。一方で、男性に対してはこれらの感情のもつれがないため、ごく自然に"ときめく"ことができるのかもしれない。しかし男性とは性交渉の経験がない。それゆえ、男性とセックスできるかどうかわからない、という不安が魅力的な男性への欲望を押し留めているのだと思う。うまく言語化することができないけど、私のなかで男性への性的な欲望は、女性へのそれとは違う。「ときめく」ということばがいちばん私の感覚と近い。他方で女性への性欲は、もっと"自動的"で、身体が勝手に反応してしまう。この自制の効かなさが、自分を苦しめている。

私にとって、性は"苦しい"。この後ろめたさから逃れられる方法がわからない。

瑠花ちゃんへの「好き」から、この後ろめたさを取り除くことができない。瑠花ちゃんとセックスする妄想で自慰をしては、果てたあとに自分はなんてことをしてしまったのだ、という後悔で打ち拉がれてしまう。好きな人と触れ合いたい、ただそれだけなのに。でも、いざ瑠花ちゃんと会うとこうした邪念がまったく湧いてこないのが救い。瑠花ちゃんに逢えるだけで幸せが溢れ出してきて、他の何もいらなくなる。

「どう思う ?

逢いたいときに選べて逢えたら,うれしい ?

芝居を介さずとも」

瑠花ちゃんのTumblrに書かれた文言について考える。逢いたいときに逢えたらうれしい。でも、以前のミスiDカフェみたいな形式のイベントは苦手。話したいことがたくさんありすぎて会話に詰まってしまうし、他愛のないことを話すには周りの目が気になりすぎる。芝居の感想を、芝居をみた直後に話せる面会は、無理がない。無理がないけど、いつも話し足りなくて、もっと話すことができたらいいのにって高望みしてしまう。落ち着いて、瑠花ちゃんの目と呼吸をみて、ゆっくり話せる場ができたら私はうれしいです。そして瑠花ちゃんの話も、少しずつでいいから私は聴きたい。

こうして書き出してみると、やっぱり瑠花ちゃんのこと好きだな。好き。大好き。それが恋愛感情であろうとなかろうと、大した問題ではないのかもしれない。私のなかでいちばん大切なのは、瑠花ちゃん自身の納得。瑠花ちゃんが望むことを叶えてあげたい。

瑠花ちゃんが私を含むファンと逢いたいなら、事務所を通して企画してもらえたらまず間違いなく私は参加するし、あるいはこれは私の思い上がりに等しい妄想だけど、もしも瑠花ちゃんがプライベートで私に逢いたいと願ってくれるなら、私はそれに報いたい、と思う。いつか「違反になってしまう」と言われたから、私からは持ち掛けられないし、望むことのできる立場でもないのだけれど。

瑠花ちゃんに逢えるなら、いつでも逢いたい。でも己のために「表現すること」を追求する私の推しが、"ファンのまま"である関係を私に望むなら、私はそれを望んで受け入れたいと思う。または、いまは芝居に専念したくてファンとの交流が負担になってしまうというなら、表現を追求することに専念してほしい、とも思う。私が瑠花ちゃんのことを好きだと思う気持ちは、どんな関係性であれ変わらない。これからも瑠花ちゃんの嫌がることはしないし、望まないことは避けるように努力もする。そうやって関係をケアすることを継続できたら、すべてを失った私にも「何か」が残るだろうか?

もっと色々なことを瑠花ちゃんと話したい。話をしていきたい。SNS越しでも、日常的に言葉を交わしていくことが大事だとわかったから。格好つけたりせずに、些細なことでもコミュニケーションを試みることが大事。それで、関係性に曖昧な領域ができてもいいと思う。線引きをすることは大切だけど、線引きだけがすべてじゃない。私が瑠花ちゃんに望む関係性と瑠花ちゃんが私に望む距離。そこに、どのように線を引くことができるだろうか。改めて、自分にできることを考えていきたい。

久しぶりに思いの丈を書き記していたら夜が明けてしまった。これから眠りにつきます。目が覚めたら少しだけ世界が晴れていたらいいな。

「おやすみ 🌕 」